つづき。。。
最後に、近年のプリンセスたちを見てみましょう。
『塔の上のラプンツェル』(2010年)のラプンツェル、『アナと雪の女王』(2013年)のエルサとアナです。
彼女たちも、前述の6人とは大きく違ったプリンセス像を持っています。
1つ目は、この2作品のプリンセスは孤独だということです。自力では地面に降りることの出来ない高い塔の上にひとりで住むラプンツェル。会いに来るのは、自身をラプンツェルの母親だと偽る魔女だけです。
エルサとアナは幼い頃に両親をなくし、危険な魔力を手に入れてしまったエルサは皆を傷つけないため部屋に引きこもって暮らし、何も知らないアナは誰からも無視されひとり、広い城の中で育ちます。
誰からも愛されるプリンセス、という前提が、物語の最初から見受けることが出来ません。
2つ目は、彼女たちにとってのプリンス、すなわち王子様の存在です。
ラプンツェルは、自身の夢に向かって前に進み続けるだけでなく、物語の最後には、愛する人のために自分を犠牲にしようとします。プリンセスがプリンスを救う、という新しいストーリーがこの作品で生まれました。加えて、ラプンツェルのもうひとつの他のプリンセスとの違いは、「夢が叶ってしまったあと」を考えていることです。夢が叶ったあとの虚無に不安を抱くラプンツェル。とてもリアルな心情が描かれました。
『アナと雪の女王』はプリンセス作品としてははじめての、王子様がいなくても成り立ってしまう物語でした。真実の愛でしか溶かすことのできない氷に凍らされてしまったアナ。その氷を溶かすことが出来たのは、アナののちの恋人クリストフではなく、アナの姉であるエルサでした。
また、『アナと雪の女王』に類似する例として、ディズニー実写映画『マレフィセント』(2014年)があげられます。これは、『眠れる森の美女』を悪役であるマレフィセントの視点から描いた物語です。原作では、永遠の眠りについてしまったオーロラ姫の魔法をとく真実の愛のこもったキスを送るのは、フィリップ王子ですが、この作品では王子はオーロラ姫の目を覚ますことが出来ません。彼女の目を覚まさせたのは、オーロラ姫を我が子のように愛したマレフィセントのキスでした。
「王子様」の不在。この3つの作品には、「プリンセスを幸せにする王子様」がもともと存在していない、存在する必要がないのです。
このように、時代を追って「ディズニーのプリンセス」たちは変化してきました。
その背景には、世界的におこった女性運動が関係しているのでしょう。女性たちは、結婚し子供を産むという役割だけにとらわれず、結婚以外の人生の目標を持つように変わっていきました。男性の下の立場であるというステレオタイプな価値観はくつがえされたのです。それがディズニーのプリンセスたちにも、しっかりと映し出されており、彼女たちはけっして王子様の存在によって人生のゴールにたどり着いたわけではなく、それぞれの個性をしっかり生かし、ひとりの女性として幸せになりました。
「ディズニープリンセス」作品は、単なる子供向けの作品ではありません。その女性としての生き方には、これまでたくさんの大人の女性たちも励まされてきました。
これからのディズニープリンセスたちは、またどんな強さを教えてくれるのでしょう。
The power to shine lies within you…