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Dマニアブログ〜翻訳から見るディズニーの世界〜

英語と日本語の翻訳的観点から、ディズニー映画の分析、ディズニーランドなどアトラクションの分析、海外ディズニーパークのレポートなどをしております。

ディズニーについて、映画分析、アトラクション分析、イン日記まで色んなこと書いてます。

時々、ディズニーの音楽の訳詞したり、アトラクション説明の訳したり。

アニメや漫画のはなしなんかもしたり。

海外パークと東京ディズニーリゾートの比較なんかしてみたり。

 

【ディズニー事情】ぬいバの痛バはアイデンティティになり得るのか?⑵【ディズニーブログ】

つづき。。。

 

 

なぜ「痛バ」は流行り始めたのでしょうか?

「痛バ」の発祥はそもそもディズニーなのでしょうか?

答えは、おそらく否です。

 

池袋や秋葉原、中野などいわゆる「アニメオタクの聖地」と言われている場所を歩いていると、たくさんの人がアニメキャラクターの「痛バ」を持っているのを見かけることが出来ます。自分の好きなキャラクターの「痛バ」を持つことで、「私の好きなキャラクター」を周囲に主張出来るという効果があります。

自分が集めたグッズをカバンにつけて街にくり出すことによって、家にあるだけでは結局は使い道がなくなってしまうグッズたちも、グッズを集めたことを周囲に見せることで、より大きな満足感を得ることが出来ます。

また「痛バ」とは、自分で缶バッチなどの配置を決めて、自分でレイアウトして制作するので、自分だけのオリジナルバッグが完成します。作っている過程でも、自分のそのキャラクターにかける思いを再確認することが出来、コレクション精神が更にくすぐられるわけです。

 

では、「痛バ」が大規模に流行り始めたのはいつからでしょうか?

もちろん、かなり前から「痛車」(アニメキャラクターなどの柄がプリントされた車)などの存在はありました。

しかし、ここ何年かで「痛バ」を持っている人の割合は圧倒的に増えています。

 

「痛バ」が流行り始めるきっかけとなったのは「うたの☆プリンスさまっ♪」(通称、うたプリ)での「二次元アイドル」の出現だと思います。今までも、女性二次元アイドルは、たくさんいましたが、男性アイドルが主体の作品というのはあまりありませんでした。

ジャニーズなど「三次元アイドル」のライブにいくと、それぞれ「担当」のアイドルの缶バッチやうちわを持ったファンが会場に溢れています。その文化がうたプリをきっかけに「二次元アイドル」の世界に流れ込んで来たと考えて良いでしょう。

元々、ジャニーズのファンが自分の好きなメンバーを主張することは、「同担拒否」(同じアイドルを好きなファンとは仲良く出来ないこと)を意味していました。「三次元アイドル」は、手の届く存在なので、要は、自分と同じ人のことを好きなライバルとは、仲良く出来ないわけです。

 

二次元のキャラクターは、そもそも手の届かない存在なので、逆に同じキャラクターが好きなファン同士は仲良くなれるものでした。しかし、うたプリなど乙女ゲーム(女性を対象とした恋愛シミュレーションゲーム)のキャラクターにおいて、この常識はあまり通用しなくなってきました。

どんどんリアルになっていくゲーム技術の進化や演出の進化により、プレイヤーとキャラクターの間に介入する次元の壁が薄くなりつつあるからです。

さらに、「二次元アイドル」の作品故に、声優さんのライブイベントなどを通して、二次元のキャラクターが手の届く存在になりつつあります

ここで、「三次元アイドル」のルールが「二次元アイドル」の世界で適用され始め、「痛バ」を持って「同担拒否」を暗示するのです。

 

そして、「痛バ」文化は、この後色んな作品のキャラクターで作られていきます。乙女ゲーム作品や「二次元アイドル」作品だけに留まらず、今や様々なジャンルの作品の「痛バ」を見るようになりました。

 

この頃から、ディズニーリゾートでも「痛バ」が出現し始めたと感じます。

ディズニーにおいては、「同担拒否」など強い意味を持って「痛バ」を持っている人はあまりいないように感じますが、自分の好きなキャラクターが一目でわかるように主張したり、自分だけのオリジナルバッグをパークに持って行くことでテンションを上げたりする効果があるように思います。ディズニーファンとしてのアイデンティティを示すのに、効果的だと言い切ることが出来るでしょう!

 

自分も含め、当たり前のようにとけ込んでいた「痛バ」文化でしたが、自分なりに元をたどってみました。

 

 

ショーやパレードの場所取り。痛バ。コレクション精神。。

これらを極めるためにはもちろんたくさんパークに足を踏み入れなければなりません。

以前は、足を踏み入れるたびに現実から逸脱したような浮き足だった気持ちになったものです。しかし、最近は、舞浜駅から無心であるいているといつの間にかワールドバザールまで歩いていた、というようなことがほとんどです(^^;)

果たして夢の国で夢を見ることはできているのでしょうか?

場所取りやグッズ集めは、現実に余りにも近い行動のように思います。

帰りのゲートをくぐるたびにとんでもない寂しさにおそわれ、何度もゲートを振り返っていたあの頃ほど、夢の国の夢にひたれているのでしょうか?

もちろん、大人にはなっていくものです。

ショーやパレードを待ちながら今一度、パークの景色や音楽に身をまかせてみよう。。

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