Dマニアブログ

Dマニアブログ〜翻訳から見るディズニーの世界〜

英語と日本語の翻訳的観点から、ディズニー映画の分析、ディズニーランドなどアトラクションの分析、海外ディズニーパークのレポートなどをしております。

ディズニーについて、映画分析、アトラクション分析、イン日記まで色んなこと書いてます。

時々、ディズニーの音楽の訳詞したり、アトラクション説明の訳したり。

アニメや漫画のはなしなんかもしたり。

海外パークと東京ディズニーリゾートの比較なんかしてみたり。

 

【ディズニー事情】ぶっちゃけトーク/TDS ヴィランズワールドのストーリーってどうなの?【ディズニーブログ】

今回は、ちょうどディズニーハロウィンが開催されているということで、ショーのストーリーについて考えてみたいと思います。

今回、まずお話するのはヴィランズワールド2015についてです。

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このショーを見て、「平和すぎる!」「悪者じゃなかったの?」「和解したのか?」などなど、思った人は多いのではないでしょうか?

このショー、音楽や衣装、フロートなどかっこよくて文句なしなのですが、ストーリーが今ひとつではないか、と感じました。

では、それはなぜでしょうか?

 

ストーリーには「起承転結」がつきものです。

起(ストーリーの導入)、承(問題発生)、転(問題が展開する)、結(その結末)の4要素が入っていると美しい形だとされています。

 

この物語はというと、

 

ヴィランズ達の登場、ミッキーたちがお客様としてヴィランズのパーティにお呼ばれする

ヴィランズ達が、それぞれの個性、強みをアピールしていく

転?:ミッキー「みんなのすごいところを繋いで、一緒にやってみるんだ!」全員で、それぞれのヴィランズの強みを連続してアピールしていく

マレフィセント「お気に召したならまたいつでも来るがよい。何事もなければね。」ヴィランズ達退場

 

しいていうのならこんな感じでしょうか?

しかし、「転」といえるほどストーリーが動いてないですし、クライマックスに向けての盛り上がりも弱いです。

 

悪者たちのショーなら、ミッキーたちをパーティに招待するという名目でおびき寄せ、裏切ってミッキーたちを攻撃するくらいの「承」や「転」があってもいいと思うのです!

 

それではここで、2008年のレ・ヴィランというディズニーランドのハロウィンパレードと比較してみましょう。

このパレードの悪者、つまりヴィランズたちが主役になったハロウィンパレードです。

このパレードのストーリーを起承転結に当てはめて考えてみると、

:ミッキーたちがハロウィンパーティを開催している(みんな嫌な予感を感じ取っている)

:ミッキー達のパーティにヴィランズたちが乱入しパーティを乗っ取ってしまう

:みんなでヴィランズたちを倒してパーティから追い出そうとする

:ゲストたちみんなの協力によりヴィランズたちは力を失い、パーティを征服することを諦め、またたのしいハロウィンパーティが再開

 

こう見てみると、綺麗に起承転結にはまっていますよね。展開もわかりやすく、一回見ればストーリーが頭にスっと入ってきます。

 

では、この数年でなぜこうもかわってしまったのでしょうか?

近年のショーやパレードは、子供向けに作られている傾向にあります。今年から、ワンスアポンアタイムのアナと雪の女王バージョンも歌詞がすべて日本語に変わりました。

たしかに、せっかく夢の国に来ているのに、怖い悪者たちがミッキーたちを攻撃するのを見たら泣いてしまう子供たちも少なくありません。

しかしミッキーが悪者に苦しめられるシーンを何度も見て来ている大人たちからしたら、なぜ悪者であるヴィランズがミッキーたちと仲良くしているのだろう?という矛盾を感じずにはいられないのです。

 

しかし、ファンタズミックは違いますね。これは、アメリカからストーリーを変えずに輸入したショーであるから、と考えられます。ミッキーは悪者たちに支配されそうになりますが、彼の“イマジネーション”の力でそれを阻止します。

ファンタズミックについてはこちらの記事を↓

mandy227.hatenablog.com

同じパーク内でも、ヴィランズという存在がここまで扱われ方が違うとゲストであるわたしたちも戸惑わずにはいられません。(昼間はヴィランズ・ワールドでパーティに及ばれして仲良くしていたのに、夜のファンタズミックではミッキーの世界を支配しようとするわけですから。。)

 

ここで、クリスタルウィッシュジャーニーのストーリーを見てみましょう。

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:クリスタルの使者に導かれ、それぞれのもつ願いが詰まったクリスタルの意味を探しにいく

承?:各キャラクターそれぞれのクリスタルの意味(みんなの願い)が明かされる

転?:ミッキーのクリスタルは透明、それはみんなの願いがすべて混ざっているから

:ゲストの願いを集めて、その力と共に、ミッキーたちはクリスタル・ウィッシュ・ジャーニーへと出発する

 

このショーも起承転結では言い表せないことがわかりますか?

言ってしまえば、とても分かりにくいのです。たしかに、ヴィランズ・ワールドほど矛盾を感じることはありません。しかし、ストーリーの盛り上がりがないわりに、テーマや設定がとても抽象的である上に、色んなことが起こりすぎるのです。

クリスタルの世界、そこは冒険とイマジネーションの海を旅する人たちの願いや思いが結晶化してできた、この海だけの光り輝く、特別な世界です。

これは、ショーの導入での台詞です。

余りにも、テーマや言葉が抽象的なわりに言葉が多くて、一回聞いただけでは“クリスタルの世界”の意味を理解しがたいですよね。

 

つまり展開が弱すぎて、ストーリーの矛盾が生じるのも避けたいですが、設定を抽象的にしすぎるとストーリーが入ってきづらいわけです。 

 

 

いくつかしか例はあげていませんが、近年のショーやパレードは、展開が弱いか、設定が抽象的すぎるか、のどちらかである場合が多いように感じます。

最近のディズニーリゾートが変化してきている、といえるのでしょうか?

“Disneyland will never be complete.”(ディズニーランドが完成することはない)

これはウォルトの言葉です。つまり、ディズニーランドは進化し続けるということ。

夢と冒険の海、東京ディズニーシー。たしかに、変化しているかもしれませんが、今一度、本当の夢と本当の冒険をショーでどう見せて行くのか。。変化ではなくどう進化していくのか。。見つめ直してみてはいかが。。