Dマニアブログ〜翻訳から見るディズニーの世界〜

英語と日本語の翻訳的観点から、ディズニー映画の分析、ディズニーランドなどアトラクションの分析、海外ディズニーパークのレポートなどをしております。

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海外パークと東京ディズニーリゾートの比較なんかしてみたり。

 

【ディズニー事情】ホーンテッドマンション徹底解剖 Ⅰ/歴史編【ディズニーブログ】【和訳】

WDWである本を手に入れてきました。

それは、〝The Haunted Mansion Imagineering a Disney Classic〟です。

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Jason Surrellによって書かれたこの本を読んでみて、ホーンテッドマンションの全貌が見えて来たので、みなさんとシェアしたいと思います。

 

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ホーンテッドマンションは、1969年からオープンしています。すべてはウォルトのお話から始まりました。世界中にひっそりと暮らしている幽霊たちの新しいすみかを提供しようというウォルトのアイディアに、イマジニアのリーダーで特殊効果の魔法使いと呼ばれていたエール・グレイシーと、ローリー・クランプが「ゴーストと遊ぶ」というコンセプトを色付けたことで完成しました。

ウォルトは、「環境作りはわたしたちが引き受けたから、屋敷の中での人々を楽しませる仕事を頼んだよ」と、幽霊たちと約束し他界しました。ホーンテッドマンションは、ウォルトの死後、初めてイマジニアたちによって作られたアトラクションでした。

 

ホーンテッドマンションの建物自体は、1963年に完成しています。

では、なぜオープンまで6年もの月日が空いたのでしょうか?

屋敷が建った当時、その建物は風格はあったものの、とても幽霊が出そうな雰囲気はない、きれいなものでした。そこでウォルトは、「お化けが住んでいそうな」屋敷に変貌させるため、6年間、アメリカ川沿いに建てたこの屋敷を何もせず放置したのでした。

放置している間には、マーティン・A・スクラーが作った「入居者募集ポスター」を屋敷に貼っておきました。ウォルトたちは、ポスターに興味を持った幽霊たちが、他のゲストに気付かれないように入場列に混ざって、「いつになったらあの壮大な屋敷に入れるんだ?」と催促しているだろう、と考えていたようです。

ウォルトは、「夢や希望」とは反対側の「悪、邪悪」の要素も、作品に取り入れてきました。シリー・シンフォニーシリーズのスケルトンダンス(1929年)で、ウォルトは、「恐怖」が人間にとって最も基礎的な感情のひとつであるということに気がつきました。ディズニーアニメーションにたくさん登場している印象的な悪役たちの、スリルと恐怖の伝統をホーンテッドマンションにも取り入れました。

 

 

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ディズニーランドの原型となったのは、ウォルトが始めに考案した「ミッキーマウスパーク」です。ウォルトは、南カリフォルニアの地元の遊園地で彼の娘と遊んでいるときに、もっと魔法のような大人も子供も一緒に楽しめる場所を作りたい、という強い想いを抱いたと言います。

構想上の「ミッキーマウスパーク」には、メインビレッジがあり、パークの周りをまわる列車や、野外ステージのある草地、タウンホール、警察に消防署、ソーダファウンテンのある薬局、オペラハウス、映画館、他にもこの小さな街に欠かせない場所が揃っていました。また、ウエスタンビレッジの近くには、雑貨屋さんやポニー乗り場、駅馬車乗り場がありました。他にも、農場や、催し物のゲーム屋さんがたくさん並んだカーニバル、ローラーコースター、メリーゴーラウンドのあるエリアが提案されていました。しかし、ウォルトは、このような型にはまった設計と平凡な考え方では、満足いく結果にならないと気がついたのです。そして、イマジニアハーパー・ゴフ(海底2万マイルなどを手がけた)と共に新たな構想の段階を目指したのでした。

イマジニアリング」とは、「創造的なイマジネーションと技術的なノウハウを混ぜ合わせたもの」とウォルトは言っていました。好奇心にまかせて、とにかく追求し続ける心こそがイマジニアリングにつながるのです。

 

その後、「ミッキーマウスパーク」の構想を元に、アナハイムのオレンジ畑に、「ディズニーランド」を建設する計画を開始しました。ウォルトは、2次元ではなく3次元で物語を伝える形として、パークを見ていました。そこで動画産業のプロフェッショナルたちをチームに加え、動画を制作するようにアトラクションの絵コンテを描かせました。ウォルトは、彼の頭の中のプロットを、自ら「演じる」ことでアーティストたちに説明しました。

 

ホーンテッドマンションの最初の完成予想図では、屋敷は、世紀の変わり目であった中西部の街並を見下ろせる丘の上に建築する計画でした。ビクトリアン様式のお屋敷は、曲がりくねった小路の行き止まりにあり、ここからは街の小さな教会と、その隣の墓地も見下ろすことが出来ました。しかし、この案が採用されることはありませんでした。新たな計画のため、もっと適切な場所があると判断されたためです。

ディズニーランドは、前途多難なスタートの後に、大ヒットして文化的な施設になりました。そこで、増え続けるゲストのために、規模を拡大する必要がありました。

ウォルトは、拡大事業の一部として、アニメーションをベースにしたホラー系アトラクション(白雪姫と7人の小人や、トード氏のワイルドライドなど)を成功させた経験のある、ケン・アンダーソンを、ホーンテッドマンション制作に任命しました。

 

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そこで、屋敷の新予定地は、フロンティアランドのスウィフト・チキン・プランテーション・レストランとアドベンチャーランドジャングルクルーズの境目を違和感がないようにするため、その間に決定しました。そこで、ウォルトはその一帯を、「三角州の女王」と言われるニューオリンズをテーマとした場所に作り替える計画を始めました。

 

第二次世界大戦のときの「ロンドンブリッツ」によって先祖代々の家から立ち退かざるを得なかった幽霊たちに同情して、ウォルトは彼らのためのいわば「老人ホーム」をディズニーランドに建てるつもりでした。ウォルト曰く、「幽霊たちの本質は、人を驚かせることであり、そのために、観客が必要である」。

 

 

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いよいよホーンテッドマンションの本格的なデザインが始まります。

ケン・アンダーソンは、参考のためにオールドサウスのプランテーションハウスを調べ始めました。プランテーションハウスとは、大農園を持っている家のことです。(舞浜のカリブの海賊なんかがあるエリアの家々は、プランテーションハウスのイメージ)プランテーションハウスの背景には、「黒人奴隷を大農園で労働させていた」ということがあります。黒人奴隷が多く存在していたニューオリンズとは、切っても切れない存在です。ホーンテッドマンションのデザインの主となったのは、ボルチモアとメリーランドのシップレイライデッカーハウでした。

ケンは、下書きスケッチとして鉛筆でホーンテッドマンションのイメージを描き始めました。草に覆われた庭、コケに埋もれた邪悪な木、暗い雲に覆われた屋敷。壊れそうな屋敷の頭上には、弧を描いて飛ぶコウモリ。チームの全員が、このスケッチのイメージに共感していましたが、ウォルトだけは違いました。彼は、このイメージでは、ディズニーランドのきらびやかな外観を損ねかねないと、この壊れそうな屋敷、というイメージに反対しました。

 

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 ウォルトの発言で行き詰まったケンは、北カリフォルニアにあるサンノゼの評判が悪いと有名なミステリーハウス、ウィンチェスターの邸宅に向かうことにしました。160室もあるというこの大邸宅を建てたのは、「この銃で西洋に撃ち勝った」と有名な銃の製造会社、ウィンチェスター社の亡き創始者の妻である、サラ・ウィンチェスターです。この屋敷を管理することで、永遠の命が与えられ、彼女の亡き夫が創造した銃によって殺された魂たちから彼女は守られるだろう、という霊能者の言葉を信じ、サラは、色んな形と大きさの部屋や廊下だらけの、迷宮のようなこの屋敷を忠実に守りました。ドアの先が、レンガの壁になっていたり、どこにも続いていない階段があったり。。全ては彼女を探しまわっている魂を混乱させるためでした。ハンマーとのこぎりの音が昼も夜も聞こえ続け、静寂が訪れたのは38年後のサラが死したときだけでした。

ケンは、ロサンゼルスに戻り、このミステリーハウスが、ディズニーランドのホーンテッドマンションにうってつけなデザイン資料になると確信しました。

 

このアトラクションを完成させるのに必要なのは、幽霊たちの物語です。

物語編につづく。。。