Dマニアブログ

Dマニアブログ〜翻訳から見るディズニーの世界〜

英語と日本語の翻訳的観点から、ディズニー映画の分析、ディズニーランドなどアトラクションの分析、海外ディズニーパークのレポートなどをしております。

ディズニーについて、映画分析、アトラクション分析、イン日記まで色んなこと書いてます。

時々、ディズニーの音楽の訳詞したり、アトラクション説明の訳したり。

アニメや漫画のはなしなんかもしたり。

海外パークと東京ディズニーリゾートの比較なんかしてみたり。

 

【ディズニー事情】STORM RIDER FOREVER⑵ 【ディズニーブログ】

mandy227.hatenablog.com

前回のつづき。。

 

このアトラクションの閉業が発表されたのは1年前。わたしは、どこか上の空でした。わたしにとって「当たり前」だったストームライダーがなくなるなんて、まさかありえない。そんな気持ちでにわかには理解しがたかったのを覚えています。

 

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そもそも、ポート・ディスカバリー(ストームライダーがあるエリア)というエリアは、気象コントロールセンターのストームライダー計画を発表するフェスティバルが開催されている、という設定があります。そのストームライダーがなくなってしまったらエリアの設定はどうなるのでしょう?

またこのエリアは、「未来の都市」をテーマにしたディズニーランドのトゥモローランドとは異なり、「レトロフューチャー」、つまり20世紀初頭の人々が描いた「架空の未来」をテーマにしています。ここに、ストームライダーのあとに導入する予定のファインディング・ドリーのアトラクションが来て、時系列が現代社会であるキャラクターに介入されてしまったら、エリアのテーマ性はどうなるのでしょうか?

そして、このエリアから空に長く伸びる光があります。この光は、ディズニーシーのどこからでも見ることが出来ますし、ディズニーランドからも見ることが出来るとてもくっきりとした光です。実は、これはストームライダーの夜間誘導灯という設定です。ストームライダーがなくなってしまったら、このエリアのシンボルとも言える光の道しるべも消されてしまうのでしょうか?

 

答えの出せない疑問は残るばかりです。

 

 

 

閉業が発表されてからこの1年間、いつものように、当たり前に、来園する度、ストームライダーに乗っていました。

しかしあるとき、小さな変化にわたしは気付いてしまいました。

通常は、2つのライドを同時に動かしてこのアトラクションは運営されているのですが、いつの間にか片方のライドにしか案内されなくなりました。

(ストームライダー1とストームライダー2に乗るという設定なので、2機運営していた。実際の内容は、両方ともストームライダー2、すなわちキャプテン・デイビスの内容なのだが、2機あることによってストームライダー1のバージョンもあるのでは?という錯覚を生む効果があった。)

きっと解体作業が進んで行く都合上、1機にしぼった方が効率が良かったのでしょう。。

 

プレショーの最後の台詞、「キャプテン・デイビスとご一緒の方、どうぞご無事で」もいつの間にか、「デイビスがまた無茶をしなければいいんですが…」に変わっていました。ストームライダー1でミッションに出ている人、の存在が完全に消え、ストームライダー1にいつか乗ることが出来るのかもしれないという夢は完全に打ち砕かれてしまいました。。

 

そして、あっという間にストームライダー、ラストフライトの日を迎えてしまいました。

当然、パークに足を運んだわたしは真っ先にストームライダーに向かいました。いつもは、開園すぐは、トイ・ストーリー・マニアやタワー・オブ・テラーがあるアメリカンウォーターフロントに来園者は集中するため、ポート・ディスカバリーには、ほとんど人がいません。

しかし、ストームライダー最終日、ポート・ディスカバリーにたくさんの人が溢れていました。いつもそこまで混むことのないストームライダーが220分の待ち時間を記録しました。

わたしは、親のような気持ちでストームライダーがここまで愛されていたことをうれしく思っていました。

この日、わたしは一度だけストームライダーに乗り、それがわたしのラストフライトでした。

 

最後の「この100万倍くらいですね〜」

最後の “Have a safe flight!”「いってらっしゃ〜い!」

最後の「おやつのピーナッツ、チェーック」

最後の「こちらストームライダー2、キャプテン・デイビス、OVER!じゃあな」。。。

 

全ての台詞を暗記していたわたしは、乗りながら全て一緒に呟いていました。。w

乗りながら、今まで乗る度に家族と話していたこと、はじめてアトラクションのしかけの謎を解いたときのこと、何度も飽きずに乗り続けたことが、走馬灯のようによみがえってきて、気付いたらわたしは涙を流していました。

 

ライドが停止したときには、大きな拍手が起こりました。この拍手は、乗っていた人全員の気持ちがひとつになった「ありがとう」の拍手でした。

 

デイビスの「じゃあな」は、わたしにとってはずっと「またな」という意味だったのですが、最後に乗ったとき、本当に「じゃあな」なんだ、と実感してしまいました。ここで初めて、ストームライダーにはもう乗れないのだ、と実感出来たのだと思います。

 

 

「当たり前が当たり前ではなくなる」

これは生きていれば、何度もやってくる別れの試練です。

自分にとっての当たり前がなくなったとき、涙は流れるでしょうか?もし、涙が流れたとしたらそれは、その「当たり前」がそれだけ自分にとって大切なものだったということです。

わたしは、当たり前ではなくなったときに涙が流せるほどのアトラクションに出会えて本当によかったと思います。

 

これからも、人気のないアトラクションは排除されていってしまうのでしょうか?自分の需要と、パークの需要が一致しなくなってしまうのでしょうか?

ストームライダー閉業によって生まれる疑問も絶えず、不安はたくさん生まれましたが、わたしはこれからも自分が愛するアトラクションに乗り続け、自分にとっての「当たり前」をたくさん作るだけです。(そしてまたアトラクションがなくなってしまったときに約4000字のブログを書くだけですw)

 

 

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Say thank you to STORM RIDER.