。。。つづき
アナハイムのディズニーランドに行ったときに、私は驚愕しました。
パレードの鑑賞位置をアナウンスするキャストはどこにもいません。
どこがプライオリティシートなのかも分かりません。
ベビーカーをたたんで見ている人なんていません。
そして、何より、何時間も前から場所取りをしている人なんて、ほとんど誰もいませんでした。。
夜のPaint the Nightパレードを見ようと、私は2時間ほど前からベンチで場所取りをしていました。周りのベンチにも、場所取りをしているのかどうかはわかりませんでしたが、座っている人はたくさんいます。すると、1時間くらい経ったところでキャストに突然声をかけられました。
「ここは車椅子に乗ったゲストの専用エリアだからここからは鑑賞出来ません。」
私は、唖然としてしまいました。
そんな表記なかったじゃん!
1時間も待ってたのに!
今から他のところで待つにしてももう席が埋まって来ちゃってるよ!
いろいろな文句が頭には浮かびます。
しかし、私以外にも周りのベンチで場所取りをしていたであろうゲストたちも声をかけられていましたが、みんな文句ひとつ言わず場所を変えてその場を去って行きました。
日本人が、苦労しながら待つ人種だとすると、アメリカ人は、待つことを苦としない人種だと言われています。彼らにとってはどこで見ようが、1時間待っていたことなんか、どうでもいいことなのでしょう。
アメリカのパレード鑑賞ルールが徹底されていない理由はここにある、と思いました。誰も文句を言わないからです。
東京なら、雨の日や水に濡れるショー・パレードを除いて、ベンチの前での立ち見は禁止されています。しかし、アメリカではそんなの関係ありません。ベンチが後ろにあろうが好きなところで立ち上がって見ている人もいます。しかし、誰も文句を言っている人はいません。
日本の“待つ”文化におけるルールはどうしてこうも徹底されているのでしょうか。
日本人は、電車に乗るにも誰が始めるわけでもなく列を作っています。
(ニューヨークの地下鉄では誰も列なんて作っていませんし、降りる人優先なんて言葉はないかのようにみんな我先にと電車に乗り込んで行きます)
「周りの人が並んでいるから並ばなければならないんだ。」
「マナーを破って周りから非難されるくらいなら最初から守っておこう」
「マナーやルールを守っていない人によって自分が気分を害すことになったら嫌だから、マナーを守っておこう」
完全にマニュアル化したマナーを徹底し、マナー違反を取り締まることで、気分を害す人が現れないために今の東京ディズニーリゾートの形があるように思います。
要は、ふんわりとした「心遣い」だけに頼っていては、必ず気分を害するゲストが出てきてしまうわけです。
また、パレードが「偶然見られるもの」ではなくなってきていることで、よりルール違反が周りに及ぼす害は大きなものになっていると言えます。
偶然タイミングが合って見ることが出来たパレードなら多少輪を乱す存在があっても、特に何も感じることはありません。
しかし、念入りに練られた計画のもと何時間も待ったパレードとなっては話が変わってきます。忍耐強く待ったあとには、自分の望んだ完璧な状態でパレードを鑑賞したい、という気持ちは大きくふくれあがっていますよね。
ではなぜ、パレードは「念入りに計画してみられるもの」になったのでしょうか?
それはまた別の記事で。。