【ディズニー事情】人種のるつぼ「ズートピア」⑵【ディズニーブログ】
つづき。。。
ところで、わたしたちアジア人は差別されている対象だと思っていませんか?
しかし、それは違います。わたしたちも差別してしまっているからです。
例えば、海外旅行にいくときに「ここは黒人が多くて危ない地域だから行くのは控えよう」、「小さな路地に入ったら黒人がたくさんいて何もされていないけど逃げてしまった」など、よくある話ではありませんか?
これは立派な差別です。
無意識に自分とは違う人種のことを差別してしまっているのです。
これは、考えて差別しているというよりは、植え付けられたステレオタイプによって本能的に、差別する対象を恐怖してしまっているからです。
差別は対象への恐怖から生まれます。この「無意識的な差別」を『ズートピア』は、たくさんの動物を使って表現してみせたのではないでしょうか?
物語の最後には、物理的な差別はなくなり、追いやられた肉食動物たちも街に戻ってきます。しかし、差別は心の奥底からなくなったのでしょうか?物理的にはなくとも、精神的には差別が存在してしまっている現実社会の投影が、ここにも見受けられたような気がしました。
現に、作品の中でもニューヨークの街並みを思わせるような描写がたくさん出てきました。(ニューヨークの地下鉄表示とそっくりな表示など)
また登場する動物たちがみんなiPhoneを使っていたり、またiPhoneでソーシャルゲームをしていたりと、現代の人間と全く変わらない描写がされているのも、人間世界を投影する意図があるように感じました。
『アナと雪の女王』(2014年)は、同性愛を暗示させるようなストーリー構成になっていました。今回のズートピアは人種差別。ただ感動や夢、勇気を与えていたディズニーが、社会問題を取り入れています。
それを、一見「かわいいキャラクターのほっこりストーリー」かのように魅せているのがこの作品の魅力です。
またこの作品には、もうひとつの差別が存在します。それは、「草食動物で、しかも小型動物のウサギは、警察官なんかになれるわけがない」というものです。ウサギのジュディは、チーターやライオンなど大型肉食動物に負けじと、警察官になる夢を諦めず、必死に努力し夢を叶えます。
またキツネのニックは、「キツネはずる賢くきたない」という差別を受けています。彼は、その差別に反抗することを諦め、開き直ってずる賢く生きていました。しかし、ジュディとの出会いによって自分に嘘をつくことをやめ、最後にはジュディと共に警察官になります。それが "In Zootopia, Anyone can be anything." (この街では、誰もが何にでもなれる)というキャッチコピーでまとめられています。
子供たちは、人種差別のテーマがこの作品に隠れていることには到底気がつかないでしょう。しかし、この2つ目の差別は、理解することが出来ると思います。「足が遅いやつはスポーツ選手にはなれるわけがない」、「お金持ちのおうちの子だからえらそう」、「字が下手だから勉強ができない」。子供たちの世界に当たり前に存在している差別と同じだからです。見る人それぞれの現実世界に存在している差別を、この夢のあるキャッチコピーが浄化してくれるのです。
「ズートピア」。
夢の街のように思えるかもしれませんが、実際は自分が生きている世界とそう変わらないのかもしれません。自分が今いる現実社会でも“Anyone can be anything”というキャッチコピーは、自分次第で通用するはずだからです。現実社会を投影することで、この映画はそんなメッセージも伝えたかったのかな、なんてことも思います。
“I wanna try everything, I wanna try even though I could fail.”
—SHAKIRA “Try Everything”